自然と寄り添う暮らし

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あののぉ vol.56 2020 冬

あののぉ vol.56 2020 冬

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〔お宅訪問〕光に包まれた 平屋に暮らす



光に包まれた 平屋に暮らす

高松市郊外の住宅地に佇む平屋にお住まいのNさんご家族。
風が金木犀の香りを運んでくる、気持ちのいい10月の晴れた日。
豆から挽いて淹れてくださった珈琲のふくよかな香りと、子供たちの笑い声。
ご家族から溢れる豊かな時間の中、家を建てるときのエピソードや現在の暮らし、これからのことなどを伺いました。



香川らしい暮らしが
自分らしい暮らし


 香川で暮らす前は、都心を転々として暮らしていたNさん。奥さまは、子供が産まれて直ぐの頃、東京ではのびのび子育てする環境が身近にないと感じていました。出張が多くなかなか家に帰れないご主人も、そんな暮らしに疑問を抱きはじめたそうです。
 ご主人は、野山を駆け巡る元気な少年時代を過ごした経験をお持ちでした。そのため、子供たちも自然に触れながら、人間らしい感性を育んでほしいとの思いがありました。香川出身の奥さまも、頼れるご家族や友人が近くにいて、災害が少なく、美しい瀬戸内の風景があるなど、都会では体験できない香川の魅力を再認識したと言います。
 香川らしい暮らし。瀬戸内の里・山・海の豊かな自然、穏やかな気候、四季の恵みを感じ、人と触れ合う暮らし。そんな暮らしの中でこそ自分らしい子育てができると、ご夫婦の意見は合致していました。

綿密な計画と信頼が導き出した
シンプルな暮らし


 地元の友人たちや親戚に住まいの相談をしたところ、おすすめされた建設会社が菅組だったそうです。
 奥さまは、ご夫婦が理想とする暮らしのイメージと、具体的な希望を設計士に伝えました。それは膨大な量だったと言います。それらの声を設計士が整理して、よりよい答えを導き出してくれたとNさん。営業がコーディネートし、現場監督や大工は知識と経験からアイデアを出し合い、ご家族と設計士みんなが一つのチームのようになったそう。
 「それが出来たのは、お互いに信頼関係があったからこそ。そのことが、この家づくりをよりよい方向へ導いてくれたと思っています。ここで暮らし始めて半年になりますが、本当に満足しています」。ご主人の視線の先で、子供たちはスタッフと友達のようにお絵描きしたり水遊びしたり、ずっと楽しそうに過ごしていました。

写真:中央の大黒柱は、仲南の森(まんのう町)でNさんと一緒に伐採した檜(ひのき)



太陽の光の入り方と
風の通り道


日が昇り、光が差してくると、太陽が高く昇る夏場は縁側まで陰ができます。太陽の傾きの低い冬場は、リビングの奥まで日向ができて、部屋全体を温めてくれます。大開口の窓を開ければ、リビングには風が吹き抜け子供も大人も芝生に飛び出すことができます。

 家の間取りや機能は、とてもシンプル。リビングに通された時に感じる開放感と、各部屋や家具との「ちょうどいい」サイズ感、使いやすい生活動線。無駄を省いているからこそ素直に感じる、木の温かみや光のやわらかさ、流れる風もすべてがとても自然で、心地よい住まいです。

写真右:居間で遊ぶお子さん。居間とつながるアーチ型の垂れ壁の奥が和室
写真左:玄関わきに、小さな書斎



 ここでの暮らしは、はじまったばかり。友人たちとBBQをしたり、家庭菜園で採れた人参を食べたり、子供と釣りの練習をしたり、手作りのお菓子や珈琲で友人たちをもてなしたり―。ご夫婦にこの家での夢を尋ねると「たくさん人が集まる家にしたい」と笑顔で答えてくださいました。

 この光あふれる居心地のいい空間に、家族も友人たちも自然と集まることでしょう。のびのびと思いっきり走れるお庭。成長を見守る大黒柱。讃岐の季節を五感に感じられる暮らしは、身体を元気に動かすエネルギーになります。
 暮らし方は人の成長とともに変わっていくけれど、生きる力となる「芯」の部分は、これからも変わらない︱︱。
 ご家族の暮らしのイメージは塀の向こう、空の向こうへと広がっているようでした。

写真右上:N邸の外観。さまざまな種類の植栽が、訪れる人たちを楽しませてくれる
写真右下:伐採した木の先端は、ベンチや足置きにちょうどいい

写真左上:とても仲の良い兄妹。家では、ほとんど素足で過ごしている
写真左下:その時の気分に合った豆を選んで挽きたてコーヒーを楽しむ


高松市N邸 2020年3月竣工
延床面積≫140.94㎡(42.71坪)
構造≫木造平屋建て 
設計・施工≫(株)菅組

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〔森里海から No.56〕茶堂(ちゃどう)



文・写真 菅 徹夫

 旅の途中、小さな小屋を見つけて嬉しくなることがあります。高知県梼原にある茶堂もその一つでした。2年ちょっと前のこと、茅葺きのかわいい小屋を見つけて近づいてみるとそれは「四万十川流域の文化的景観」にも選定されている「茶堂」と呼ばれる小屋でした。そこには次のように茶堂の説明がなされていました。
 
 『慶長9年(1604)から11年にかけて津野山郷各村々に茶堂を建て、弘法大師、考山霊、三界万霊を祭り、厄払招福の祭りをする申し合わせがなされたと、その起源について伝えられ、安永2年(1773)藩政時代の御巡見御用差出帖には辻堂と記されていて、そのお堂は、2間(3.6m)に1間半(2.72m)位の木造平屋建、茅葺屋根、板敷きの素朴な形式であって、木像、石像等の諸仏を安置して祀り、津野氏の霊を慰め、行路の人々に茶菓の接待を地区民が輪番で行い、信仰と心情と社交の場として、うるわしい役割を果たしてきた。現在も季節により行っているところもある』

写真:梼原の茶堂(入母屋の小さな屋根形状と苔むした茅葺き屋根が美しい)



 茶堂の数は、明治後期には53棟ほどあったものが、現在では町内に13棟残っていると言います。梼原の茶堂は、写真のように茅葺きの入母屋風の屋根形状に木を使った独特の棟納まりが美しい小屋です。今でも使われている小屋もあるというのが素晴らしいし、点在する小屋群がつくり出す風景もまた地域性を感じられて好感が持てます。

写真:梼原の茶堂2棟(地域の原風景となっている)



茶堂はかつて全国の村の境や峠に設置されていたようで、世代を問わず村人たちの憩いの場として使われていたり、旅人や商人たちが村人からお茶やお菓子のおもてなしを受け、旅の疲れを癒やしたりしたと言われています。梼原に残っているものの他にも、ベーハ小屋探索の際に見つけた愛媛県大洲市の奥地のものや、香川県にも「四つ足堂」と呼ばれる茶堂がまんのう町勝浦地区に現存しています。それらのかわいらしい佇まいは小屋好きにはたまらない風景です。日本の原風景として、また歴史の証人として、これからもその地にあり続けてほしいものです。

写真右:梼原の茶堂(3方の壁がなく開放されているのが基本形らしい)
写真左:大洲奥地の茶堂(4本の柱が石の上に載っているだけなのが良い)



写真右.大洲奥地の茶堂(少し反った茅葺き屋根のプロポーションも良い)
写真真ん中.まんのう町の四つ足堂(茅葺き屋根。ブルーシートが残念)
写真左.まんのう町の四つ足堂(竹の小屋組が手作り感があって良い感じ)

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〔大工のはなし〕第17回『祖父から受け継いだもの』



これは「突き鑿」という鑿の一種です。柄の部分が長く、これを両手で握り、突きながら木を削っていきます。
写真の突き鑿は、菅組で4世代大工として働いてきた真鍋家の4代目が現在使っているものです。 刃の大きさに合わせてつくられた木のカバーは、祖父(2代目)が昭和15年頃につくり使っていたもの。そして、4代目が大工を仕事にすると決めた際に、祖父から受け継いだものだそうです。
技術だけでなく道具も継承する。道具に込められた思いも受け継ぎ、今日も仕事にはげむ4代目です。

右文字「詫本大秋」:詫本大(地名)の真鍋秋雄(2代目)の略
左文字「昭捨五六貮参」:昭和15年6月23日の略

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〔information〕・仁尾縁オープン ・仁尾一齣


 仁尾の街並み再生プロジェクト「仁尾縁(におよすが)」。その第一弾となる江戸時代の商家を再生した宿「多喜屋(たきや)」と、フロント機能をもつ「表店」を令和2年11月14日(土)にオープンいたしました。
 営業開始後、宿泊のご予約がない時は古民家再生施設としても開放(事前予約制)し、仁尾の街なみ再生プロジェクト~仁尾縁~の起点として活用していきたいと思っております。



・仁尾一齣 「多喜屋の家紋」


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