あののぉ vol.73 2025 秋号
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【特集】NIPPONIA 仁尾 水鏡の町

町の隅々に、懐かしさがそっと灯り、瓦屋根の向こうに時間の層が幾重にも重なります。
この町に吹く風には、昔と今がいっしょに息づいている。
旅の途中でふと立ち止まりたくなるような、やさしい場所がある。
時がゆっくり流れる町のなかに、静かに扉を開ける宿がひとつ、またひとつ。
その扉の先には、忘れていた何かを思い出すような時間が、そっと待っています。

時を継ぐ家に泊まる 仁尾で紡がれる、静かな再生の物語
瀬戸内の小さな港町・仁尾で、町そのものを宿に見立てたあたらしい試みが始まっています。それは、町に点在する歴史ある建物を丁寧に再生し、町を歩きながら泊まるという「分散型ホテル」のかたちです。
このプロジェクトでは、築100年を超える古民家3棟と、建築家・堀部安嗣が手がけた「讃岐緑想(さぬきりょくそう)」1棟を、宿泊施設として生かしています。。一棟ごとに異なる表情を持つ建物が、町並みに自然に溶け込みながら、訪れる人を静かに迎え入れます。滞在そのものが、仁尾という町と対話する時間になることを願って、この場所をつくり続けています。
そしてこのたび、新たにそのうちの2棟、「小倉屋(おぐらや)」と「千代屋(せんだいや)」が完成しました。いずれも、江戸後期・明治の時代に建てられた町家や商家を再生したもので、職人の手仕事が随所に残る空間に、現代の暮らしに寄り添う設備がやさしく重ねられています。
今回は、この2棟を中心にご紹介いたします。
時の流れを受けとめながら、懐かしさと新しさが共存する、心がほどけるような宿です。ただ泊まるだけでなく、町を歩き、人とすれ違い、光と風に触れる。仁尾での滞在は、そんな「暮らすように旅する」体験へと、そっと誘ってくれます。

【小倉屋】左:小倉屋 OGURAYA 201号室。全面葺き替えにより、二段構えの錣葺(しころぶき)を持つ本瓦屋根の美しさをそのままに残しています 真ん中:磨き上げた神棚と、古箪笥と一枚板を組み合わせて設えたカウンターが、空間に味わいと温もりを添えています 右:窓の向こうに中庭の風景が広がる寝室です

【小倉屋】左:小倉屋 OGURAYA 202号室。既存の土壁を活かした通路の先に設けられた玄関。控えめながら、深い趣を感じさせます 真ん中:壁の染みや柱の傷をそのままに。長い歴史の面影が静かに漂う居間です 右:昔ながらの家のぬくもりに身をゆだねられる寝室です
小倉屋(おぐらや)
明治37年に建てられた古民家「小倉屋」。
かつては米屋として町の暮らしを支えながら、多くの人を迎え、見守り続けてきた場所です。時の流れとともに役目を終えた建物は、いま、ふたたび人を迎える場として静かに息を吹き返しました。
雨染みの壁、すり減った柱、ふと目にとまる落書きの跡。それらの痕跡は、消すべきものではなく、ここにあった日々の記憶として丁寧に受けとめました。
建物の中には、旅人を迎えるふたつの小さな間が設けられています。古箪笥や建具を再活用した設えのなかに、菅組ならではの手仕事が息づき、歴史の重なりと素材の温もりが響き合う、やさしい余白のある宿となりました。
古い建物を宿にするのではなく、宿というかたちで、ここにあった暮らしをそっと未来へつないでいく――
小倉屋は、そんな思いとともに生まれた宿です。

【千代屋】左:千代屋 SENDAIYA 101号室。江戸時代末期に建てられた古民家を、宿として静かに再生しました 真ん中:柾目と漆で仕上げた豪奢な天井。鳥の釘隠しなど、細部にまで美しさと遊び心が宿ります 右:壁に飾られた讃岐漆の器が静かな彩りを添える空間です

【千代屋】左:千代屋 SENDAIYA 102号室。職人の技が息づく外観です 真ん中:広がりのある土間とホールが、訪れる人をやわらかく迎え入れます 右:新たに設けられた吹き抜け空間が、伝統的な和室に軽やかさを添えています
千代屋(せんだいや)
通りに面して、凛と佇む町家「千代屋」。
かつてこの場所で、商いの声や家族の暮らしが行き交っていた日々が、今も静かに息づいています。江戸後期・明治の面影を宿す建物に、新たな役割をたずさえて、2組の滞在にそっと寄り添う宿として、静かに時を刻み始めました。
手仕事の跡が残る建具や、ゆらぎを含んだ塗り壁の質感。かつての暮らしの層が、町の空気と混ざり合い、どこか張りつめたような静けさを帯びています。
設えは慎ましく、けれども端正に。
必要な設備を整えながらも、建物の緊張感や品格を損なうことなく、この町に似合う空間として、宿の役割を静かに引き受けています。
懐かしさにふれるのではなく、その中に身を置くように。
千代屋は、かつての暮らしの続きを、今という時間のなかで感じていただく宿です。

未来へそっと手渡す町の風景
菅組は、「NIPPONIA 仁尾 水鏡の町」という名称のもと、株式会社NOTE、ルウツ株式会社と共に、町に残る歴史的な建物を宿泊施設として再生する取り組みを進めています。
古民家をただ残すのではなく、そこに刻まれた時間や記憶を未来へつなぐこと。仁尾の光や風に寄り添いながら、この土地の魅力を訪れる方と分かち合いたいと考えています。
建物に宿る記憶を大切に、静かに手を入れ、丁寧に整える。
千代屋と小倉屋も、そうした想いのもとで生まれた宿です。
「町を歩きながら泊まる」という新しい旅のかたちを通じて、仁尾が、訪れる人にも暮らす人にも、もう一度大切に思える町となることを願っています。
小さな扉の先にあるのは、誰かの暮らしの続きを感じる時間。
この町の風景とともに、心ほどけるひとときをお過ごしください。

「NIPPONIA仁尾 水鏡の町」公式サイトにて、宿と町の魅力をご紹介しています。
お問い合わせ>0875-24-8490
お問い合わせ時間>9:00~18:00
場所>香川県三豊市仁尾町仁尾丁312番地
【小倉屋】
場所:香川県三豊市仁尾町
竣工:2025年3月
延床面積:201号室>約70㎡、202号室>約59㎡
構造:木造平屋建て(築120年以上)
設計:株式会社 NOTE、株式会社 菅組一級建築士事務所
施工:株式会社 菅組
【千代屋】
場所:香川県三豊市仁尾町
竣工:2025年3月
延床面積:101号室>約90㎡、102号室>約73㎡
構造:木造平屋建て(築150年以上)
設計:株式会社 NOTE、株式会社 菅組一級建築士事務所
施工:株式会社 菅組
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現場紹介 「杉板型枠RC造の一棟貸しホテル」

香川県三豊市仁尾町。穏やかな海と美しい夕日で知られる父母ヶ浜のすぐ近くに、一棟貸しホテルが静かに形を整えています。
今回の建設では、幅75ミリと少し幅の狭い杉板型枠を用いたRC造という、伝統と技術を融合させた工法を採用しています。 職人たちが一枚一枚、木目の表情を確かめながら丁寧に型枠を建て込み、そこへコンクリートを流し込むことで、無機質な壁に自然の温もりが宿ります。型枠を外す「脱型」の瞬間に現れる、杉板の木目が刻まれた表情は世界に二つとない美しさです。機械では生まれない、手作業だからこそ生まれる微妙な陰影や質感が、この地の風景にやわらかく調和します。この唯一無二の空間を、最後の仕上げまで妥協することなく力を尽くして完成させます。
職人の技と想いが詰まった一棟貸しホテルが、父母ヶ浜の新たな魅力として人々に愛され続けることを願っています。

左:杉板型枠を一枚一枚、型枠大工が熟練の手作業で丁寧に建て込む様子 右:杉幅75mmの杉板を使用した、細身で繊細な意匠が特徴です

左上:コンクリート打設では、バイブレーターや竹棒突きを駆使し、型枠を傷つけず、ジョイントが目立たないよう打ち継ぎ位置も工夫 右上:脱型の瞬間、杉板の木目がくっきりと現れ、職人技の結晶が姿を現します 下:脱型後の全景。右手には穏やかな父母ヶ浜が広がります
【建築概要 】
工事名:スペクター新築工事
場所:香川県三豊市仁尾町
構造:RC造1階
延床面積:約187㎡(約56.61坪)
設計・施工:株式会社 菅組
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i-works project 定例会 香川県開催レポート

建築家・伊礼智氏、緑に囲まれたi-works 5.0 菅組モデル(香川県高松市)にて。
全国のi-works加盟店や提携メーカーが一堂に会し、情報交換や学びを深める「i-works定例会」が、7月23日から25日の3日間にわたり、香川県で初めて開催されました。建築家・伊礼智氏の思いに共鳴する約80名の関係者が全国各地から参加し、実践事例や運営の工夫を共有。地域の枠を越えた学びと交流が生まれ、i-worksならではの「つながり」を実感できる3日間となりました。
初日には、菅組が施工を手がけた香川県さぬき市の「時の納屋」などを巡る見学ツアーを実施。
2日目は、i-works5.0の菅組モデルハウスを見学した後、午後から本定例会が開催されました。冒頭では、株式会社 新建新聞社・三浦祐成社長による特別講演が行われ、これからの住まいのあり方について考える貴重な時間となりました。続いて、伊礼氏による進行中のi-works事例や自邸の紹介、各参加メンバーによる取り組み発表が行われ、内容の濃いプログラムが続きました。
最終日には、香川県三豊市仁尾町・父母ヶ浜(ちちぶがはま)周辺の見学ツアーを実施。古材と薪ストーブの店「古木里庫(こきりこ)」や、菅組が施工した宿泊施設、飲食店、お土産店などを訪れ、地域と調和する建築の考え方と魅力を体感していただきました。
3日間を通じて、参加者同士の交流と学びが深まり、非常に充実した定例会となりました。
ご参加いただいた皆様、そして開催にご協力いただいたすべての皆様に、心より御礼申し上げます。
■i-worksとは

左:青々と茂る植栽に囲まれた i-works5.0 菅組モデル 右上:完成して初めての夏を迎えたi-works5.0菅組モデルの室内。エアコン2台の稼働で、家全体が心地よい室温に保たれる 右下:i-works定例会の開会の挨拶風景。午後から約6時間にわたり、多岐にわたる講演や各i-works加盟店の活動報告が行われた

参加者全員で記念撮影

(株)新建新聞社・三浦祐成社長と建築家・伊礼智氏によるトークセッション
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〔森里海から No.73〕土用竹生垣(どようだけいけがき)

石溝、砂利、袖生垣、本生垣と幾十にも層をなす境界
文・写真:菅 徹夫
高知県安芸市にある土居廓中(どいかちゅう)。ここは、武家屋敷が整然と並ぶ町割とともに、江戸時代末期から昭和戦前期にかけての建物が残り、武家地特有の歴史的風致を今日に良く伝えているとして重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されています。土居廓中の歴史的風景を構成する要素の一つが生垣です。この生垣には、土用竹(どようだけ)と呼ばれる細く枝葉の多い竹が使われています。土用竹は蓬莱竹(ほうらいちく)の別名であり、ここでは土用竹を半割の孟宗竹(もうそうちく)を押縁(おしぶち)にして両側から押さえた生垣が多く見られます。道路との境には玉石を両側に並べた「石溝」があり、生垣はその「石溝」の屋敷内側に一定の間隔を保って密に植えられています。生垣は孟宗竹や石溝とともに土居廓中の風景を構成しており、植物特有の有機的な美しさが生き生きとした通りを演出しています。植物の種類が統一されていることや孟宗竹の押縁のリズム感も土居廓中独特の景観をつくっています。

玉石を両側に並べた「石溝」の内側に設けられた土用竹の生垣。 生垣の足元部分は、少し出っ張らせることで別の層を構成する
通りと私有地の境界は通常、塀などで仕切られることが多いですが、植物で仕切ることで柔らかな境界となり、エコロジーネットワークとして生態系にも貢献します。植物なので剪定などの定期的なお手入れが必要になりますが、道行く人々に安らぎと癒しを与えてくれます。また、お隣や近所の家々と同様の生垣を設けることで、街並みとしての調和が生まれ、街の風景を形成していきます。現代の庭や外構計画において、ランドスケープとしての植栽(生垣)や庭づくりをもっと意識しても良いのかも知れません。ネイチャーポジティブが注目される昨今、生垣は見直されるべき境界(結界)を構成する手法の一つではないでしょうか。

左:二本の孟宗竹の押縁がリズム感をつくる 右:武家屋敷とともに街並みを構成する重要な要素となっている
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〔大工のはなし〕第34回『山門・鐘楼門 新たな輝き』

香川県三豊市仁尾町にある七宝山十波羅蜜寺 吉祥院(しっぽうざん じっぱらみつじ きっしょういん)。このたび、大工の熟練の技により、長年の間に老朽化していた山門と鐘楼門が再生され、往時の様相を取り戻しました。
高欄(こうらん)、破風板(はふいた)、懸魚(げぎょ)、門本体に至るまで、風雨にさらされ傷んだ木材を見極め、伝統工法と現代の技術を融合させて昔の姿を丁寧に再現。繊細な彫刻が施された懸魚は、まるで命を吹き込まれたかのように精緻であり、まさに匠の技の結晶といえます。
歴史ある建築の魂を次世代へとつなぐため、妥協することなく、手仕事で仕上げました。
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〔information〕ネイチャーポジティブ 香川のため池での生態系保護活動

2020年から始まった活動では、香川淡水魚研究会と協力し、主に絶滅危惧IB類のカワバタモロコと絶滅危惧II類のニッポンバラタナゴの保護に取り組んでいます。
この調査は、香川県希少野生生物保護推進員の指導のもと、同行のうえ採捕および撮影を行いました。今回の調査では、数匹のカワバタモロコを確認し、地元の大学生や高校生も参加して地域の自然と連携した活動を展開しています。自然に配慮した観察デッキには、無垢材や植物由来の高耐久注入剤を使用しています。
この場所が、次世代の自然学びとふれあいの場となることも視野に入れながら、命のつながりや自然の豊かさを次世代に伝えることを大切にしています。私たちは、「ネイチャーポジティブ」の精神で、持続可能な社会の実現をめざします。
