「仁尾の風景」最終号!撮影風景を取材しました。
12月某日、「仁尾の風景」のカメラマン塩田さんの撮影に同行させていただきました。
来年は寅年ということで、訪れたのは張子虎の製造所「三宅人形店」さん。張子虎を作っているのは、三豊市内でも残っているのは2軒だけだそう。創業は明治30年(1897年)ということなので、今年で124年。菅組の創業は明治42年(1909年)なので、同じ時代に始まったということになります。
車通りの多い詫間越えの通りから一本入った、のどかな里山の中に並ぶ長屋の寺子屋のような建物が作業場。(なるほど、聞けば小学校を建てた大工さんが建ててくれたそう。)向かいの、映画のセットのような小屋も現役で使われているそう。
この張子虎。地元の男の子が座敷で泣きながら張子虎に乗っている写真を見たことがあります。親戚の家やお土産屋さん、人形店、民芸店、そして仁尾町の八朔祭りでも見たことがあります。来年が寅年ですから、忙しかったのではとお尋ねしましたら、「12年に一度ですからね」と三宅さん。
『張子虎』とは、香川の西讃地方で古くから伝わる工芸品です。香川県伝統工芸品にも指定されており、昔ながらの原材料を使って、1つ1つ手作りで精魂こめて製造されています。仁尾町は江戸時代から人形作りが盛んな土地柄で、関西方面の人形師が多く移り住み、色々な人形が作られていました。子どもの健やかな成長を祈る縁起物として、端午の節句や八朔の飾り物だけでなく、新築祝い、商売繫盛の縁起物として飾られています。また寅年生まれの方へのプレゼントにも喜ばれているそうです。
作業場の中は、私は初めて見るものばかりでしたので、一つ一つの材料や工程を丁寧に説明していただきました。材料1つ、行程1つ、伝統的な作り方を続けていること、ひとつひとつを心を込めて創っている様子をうかがうことが出来ました。
この市松人形は私のなんです。と遠山さん(現在製造をされている、修さんのご長女)力強い習字は息子さんの字。「でこ屋」は何ですか?と聞くと、つまりは呼び名。江戸時代は和紙を使った張り子の人形(でこ)と呼んでいたそうです。
塩田さんは、先代の伝統工芸士であった故三宅修さんのころから何度も訪れ、取材させてもらっていたそう。その時の写真が机の引き出しから出てきました。塩田さんと三宅さんご兄妹、そこに私も交ぜてもらって、先代を懐かしむお話からお互いのご家族やご友人など共通の話題がどんどん広がり、話は尽きません。
三宅人形店について
明治30年頃から人形を作り始め今日に至っています。創業時には市松人形を中心に張子虎も製造していましたが、伝統工芸士であった三宅修さんがお亡くなりになった後、休止されていた張子虎の製造を再開されました。
昔ながらの材料と手法を用い、全工程を手作業で仕上げています。丈夫な手漉き和紙も、糊となる膠(にかわ)も、胡粉も、当時のまま。昨今の住宅事情に合わせ、令和に入るタイミングで小さいサイズを60年ぶりに復活させたそうです。ピンと張ったひげやゆらゆらと首を振るユーモラスな姿、力強いけどちょっと愛嬌のある目は、お二人のお人柄でしょうか。
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2010年7月から始まり、11年間と6か月、仁尾の飾らない風景を撮り続けていただだいた「仁尾の風景」ですが、この12月号の138回目で最終回となります。毎月欠かさず写真を届けてくださった塩田さんの目には、この11年の仁尾の街の変化はどう映ったのでしょうか。
仁尾の風景は今月で終わりになりますが、思い出深い写真などもお聞きしたいと思い、来月もう一度お話をお聞きしたいと思っています。お楽しみに!
【カメラマン 塩田将雄さん】
(仁尾町生まれ。株式会社加喜屋(かぎや)代表取締役)